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新米年寄り

新米の年寄り 宮崎駿氏が『折り返し点』の「あとがきにかえて」に次のように書いています。同感します。

いま、生まれてはじめて年寄りというものを体験しているんです。年寄りの小僧、新米の年寄りです。日々 、びっくりしています、「なるほど、これが年寄りか」と。いざなってみると、目の前に扉が開くんですよ、ギィーッと。扉が開いたのは数年前、六十を過ぎてからですね。扉の向こうにはまっすぐな道が見えているのではなくて、天と地がまざりあったような、茫漠とした灰色の世界です。ふりむくと見慣れた路地がありますが、もうそこへ戻ることはなくて、これからはこの灰色の世界を歩いていくしかない。あちらこちらに、少し前を歩いている諸先輩の姿が、影のように見えています。けれども、そこで連帯感がめばえるわけでもなく、ひとりで歩いていくしかないんです。年をとると、毎日、大変です。体操をしたり、ちいさな散歩をしたり、朝、スタジオに出てくるための準備だって、いろいろ要るようになります。というのは、体力があった頃のように、二十四時間、映画のことを考えていられるわけではない。脳みそが過熱すると、すぐにフィラメントが切れそうになります。集中したわずかな時間に、パッとつかまえないといけない。そして、過熱する前にスイッチを切り替えて、映画のことは頭からOFF にしないとフイラメントが切れてしまいます。これが年をとるということなんだなと思いますが、いかに過熱しすぎないように集中するかということが、最近の大きな課題です。けっこう面倒くさいもんですね、年寄りというのは。もっと心穏やかになるものかと思ったら、ちっとも平和ではないです。穏やかになりたいと努力するんですが、ぜんぜんうまくいきません

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宮崎氏は「灰色の世界」としていますが、明らかに今までとは違うとは認識できますが、どこが、どのようにとは説明しにくい。たしかに、物忘れが増えたりということはありますが、それを含めた衰えが自覚できます。それは、生命の有限性を強く自覚することかもしれません。来た道は確認できますが、これから行く道は想像の世界でしかありません。そして「ひとりでいくしかありません」というのも実感できます。それは、暖かい家族がいたとしても同じではないかと想像します。老い方も一人ずつ異なりますし、背負っている歴史も違うからです。そして「穏やかに」なれないでいる自分もいます。死ぬまでもだえていくのかもしれません。

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