読書

享保の飢饉

『徳川社会のゆらぎ』を読んでいましたら享保の飢饉のことが詳しく書かれていました。博多山笠の由来とも言われていますが、次のような記述に目がとまりました。

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福岡県史]が紹介する筑前国那珂郡春日村(福岡県春日市)の長円寺過去帳による死亡者数の変化である。この村の通常の死亡者はひと月に三人程度。それが飢饉の始まった7月から増えはじめ、翌享保一八年一月には一挙に六○ 人、2月には六九人と最高に達する。通常の20倍以上だ。麦などの収穫が始まる四月から六月にかけては減少するが、ふたたび端境期となる七月には23人と増え、以後は減少して稲の収穫の始まる一○ 月にほぼ平年並みの四人に戻って落ち着いた。このグラフの動きを見ていると飢餓のすさまじさが実感される。

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わずかな食料で生死が分かれていたのだと思うと、今は飽食ですね、

私が生まれたときも春日村ですので、村としては相当長く続いています。今のように地名が合併で変わるのもどうかと思います。過去帳のお寺は今もあります。私は春日村で生まれてすぐに引っ越しましたが、今は割と近くに住んでいます

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